京都人の理論

京都人。 他府県民にはかなり評判の悪い響きの言葉です(笑) 曰く 《底意地が悪い》《ケチ!!》《お高くとまってる》などなど。 枚挙に暇がない(爆笑) いやはや。 日本国内探しても、これだけ《隠》がこもった悪口を列挙される人種はいないでしょう(笑)

まぁ、ちまは《少なくても、三代は住んでないと京都人とは言えない》という京都では『なんちゃって京都人』です。 だから、京都人の理論も判るし、他府県民の言うことも判る。

京都は実は『村社会』です。 政令指定都市にあって、これほど『村社会』なところは珍しいのではないでしょうか。

京都人の《陰険さ》と言われることの殆どは、この『村社会』に起因すると思っています。

仕事も住居も同じくする家内制手工業が多い《職人の街》でもある京都では、隣近所全てが『取引先』であり『生活の場』でもあるのです。 しかも、何代にも渡っての。 そんなところで、うっかり近所の悪口なんて言えるものではありません。 そして、それは血縁よりも地縁の重んじられる理由でもあります。

昔、『火事を出したら、火元の家は裸足で土下座してご近所さんに謝って歩かなあかんのんよ』と厳しく戒められました。 それは、隣近所が自分達と同じく『自宅も仕事場も』自分達の失火で失ってしまった『取引先』でもあるからです。 大阪では、そんな話を子供の頃に言い聞かされることはないと、かなり驚かれました。 しかし。 京都育ちの子は、誰彼となく、そう厳しく言い聞かされて育ちます。

そんな育ち方をした人間が、今風の都会的な育ち方をするわけがない(笑)

今、京都や京都人のことを書いた本がマイブーム中で、仲間内ウケのように読んでいます。 京都育ちの作者が書かれたものは、私の目には《普通》に見えても、他府県民には《普通じゃない》こともあるのだろうなぁ。 他府県民が書かれたものは、明日にでも久々に行ってみようかしら?と思う、気づかなかった魅力がたくさん! どちらも中々楽しいです。

さて。その悪名高い《京都人》。 ケチだと有名だそうですが。 京都人は節約家ではあっても、吝嗇家(必要なものにまでお金や手間を惜しむ)ではありません。 京都人の《ケチ》は実に合理的です。

京都人は目先の話にあまり興味が無いから、日常のことにはケチです。 おばんざいって、そういうケチケチ精神から生まれてる日常のお惣菜ですから、わざわざ人を招いて自宅で振舞ったりしません(笑) お客様には仕出し屋からのお料理をお出しするのです。 自分が作ったのでは、素人料理で、口に合わないと申し訳ないから。

調度品とか漆塗りのお椀とか、珊瑚やべっ甲の櫛笄とか、お祭りやハレの着物は良いのを買います。 、、、ちょっとやそっとでは、そういう物は価値が目減りしないから(笑)

そして、そういう高価で手間暇のかかった文物を『大切に扱いなさい』と扱い方を含めてよく言い聞かされます。 そういう物を作ってる職人もたくさん身近にいるので、自然と手近に当たり前に『伝統工芸』があるものです。 一生懸命作った職人の前で、乱雑に扱うなんて中々出来るものではありません。 普通の神経では無理ですね(笑)

かつて大学時代の友人に『ちまほど京都って街での生活を楽しんでる人はみたことない』と言わしめたワタクシ。 まぁ、ほんまのところ。 京都人のことは、京都人にしか分かりますまい。 この山紫水明な古い都に永らく住んで初めて、『はて。そうであったか』と思えるのでしょう。 1200年以上の歴史の襞の奥底は、たかだか数十年で理解できるものではありませんね。

さてさて。 そんなこんなを思っている《なんちゃって京都人》の私は、今、『真正・京都人』への道の、どの辺りに差し掛かっているのでしょうねぇ、、、