春の気配がする頃

湯のみサイズの蓋つき碗と、椿のミニミニ小皿。 お碗は、よーく見ると吹雪いてます(笑)

茶碗蒸しでも入れますかねぇと、春の気配がほんのり漂うだけの、厳寒期2月に買いました。 春先、厳寒期の頃になると決まって何だか黄色が欲しくなるのです。 自然が息を吹き返そうとしている、そわそわする気配とでもいうのでしょうか。 まだ遠い春の気配が漂ってくると、黄色いものが欲しくなる私には、このお碗はぴったりでした(笑) 椿もちょうど季節でしたからね(笑)

『食器に凝る・お金をかけるというのは、すごい贅沢なことやで?』 先日、会社のお姉さまからそう言われて、昔、高校生の頃も親しい友人にそう言われたことを思い出しました。

お姉さまは 『器にお金をかけるくらいなら、材料にお金をかけたらいいねん! お皿なんか100均のでも充分!! 最近の100均はナメたらあかん。 お皿なんか、あんた、割れるもんやでっ 100均にしとき! 100均!!(>人<;)』 と、重ねて仰る、、、(^_^;)

まぁ、《瀬戸物=割れ物》だよねとは、ちまでも思ってますとも(^_^;) そして、100均でも、気に入れば使いますともっっ

でも、実は。 ちまには《食器にお金をかけることが、贅沢なことである》という感覚が皆無なんです。 何度、そう言われても『ふうん。そうなの?』と小首を傾げてしまう。

さすがに私でも、一枚1万円とかは、無理!と思いますし。 お姉さまの仰る理屈は理解してるのですが、、、 器にお金をかけることが贅沢だという理屈や感覚が、理解できてないのだと思います。

食べ物は食べたら消える(エネルギー補給が過ぎて、贅肉になることもあるかもしれませんが(笑)) お皿も割れたら、お終い。 でも、割らなきゃ50年でも使えます。一緒やん?と思っているところがあります。

料亭や旅館は、器なども財産ですから、それこそ江戸時代のものも受け継がれて使われていますし。 うちはそんな家業ではありませんが、普通に自宅に親世代から使っている皿がありますし。 大事に使えば、器の方がお得やんな?と思うのは、私が京都育ちだからでしょうか、、、(^_^;)

ちまの食器好きは、小学校高学年からの筋金入りです。 好きになったきっかけといえば、紅茶に凝りだした辺りからですが、、、 大元は両親の教育方針かもしれません。

両親ともに、お茶やお花を習ったことがある家庭でしたので、子供の頃から『本物を使わせる』という方針だったようです。 (昔はよくお嫁入り道具として、娘に華道・茶道・和裁・洋裁を習わせる習慣があったので、母に心得があったことは珍しくもない話です。 父も心得があるのは、少し珍しいかもしれませんが、仕事の行きがかり上のお話なんで。 電気工が電気系の資格取るのと変わらない。 うちが特別裕福だったとか、由緒ある家庭だったわけではありません。)

子供用お茶碗も物心ついた頃には陶器製でした。 せめて木製、、、もしくは漆器にしないと子供には重くて、際限なく落として割るだろうと今の私でも思うのですが(^_^;) 3つぐらいまでは、さすがにプラスチックだった記憶がありますが、幼稚園に入った頃には陶器製を使っていました。

何度割っても陶器製を買ってくる、うちの親の根性にも、今思うと恐れ入りますね(笑) 昔は割れにくい陶器製やら、ガラス製の食器はなかったですからねぇ。 汁椀は漆器、おかずなどの平皿や深皿は、普通にガラスや陶器でした。

数を揃えると高いので、来客用汁椀は漆器に見せかけたプラスチック。 お重も滅多に使わないから、凝ったプラスチックというアンバランス、、、(笑) たまに使うものは贅沢しないという方針だったのでしょうか(笑)

そういや。私はお皿を割ることが極端に少ない方だと思います。 10年に一回もないのではないかしら? スマホや携帯なども、落として割れた経験が皆無です。 、、、小さな頃に、瀬戸物のお茶碗を散々割って一生分を使い果たしたかな、、、??(笑)