ブルガリ展2

そうそう。 『ブルガリ130年にわたるイタリアの美の至宝』 このチケットのタイトルを見ていて、もうひとつ思い出したことがあります。

私と、一緒に行った友人が、2人共京都育ちであることです。 そこがポイント。 他の地方とは違う、京都育ち独特の特徴があります。

『100年?130年??へぇ。そうなんや。、、、で、それがどうかした??σ(^_^;)』 簡単に言うと、こうなります。 いや別に、ブルガリには何の遺恨もありませんし、この回答自体に何の悪気もない。 ただの素朴な疑問です。

200年300年というお店も当たり前にザラにある。 600年続くお店さえもある。 家系でいえば、賀茂一族なんか1千年は土着して上賀茂・下鴨両神社の祭祀をしてる。

そんな京都では、親子三代100年と言う歴史が、他の地方とは明らかに重み・有り難みが違うのです。

200年、300年続く店が目白押しの中で、100年のお店がどんな胸を張れるというのでしょう? 100年程度では、雨後の筍。 京都市中では、100年程度の店は無数にあって、とても張れる胸などありはしないのです。

そんな京都で育ったら『130年』というブルガリの歴史は、例え世界のハイジュエラーであっても『ふうん。そんなもんなんや。なんや、最近のお店なんやわ』で、終わりなのです。

重ねて念を押しておきますが、何の悪気も悪意もありません。 育った環境的に、100年という数字がありふれたものに思えるだけなのです(⌒-⌒; )

そういう意味でも、ブルガリ展にはとても不適切な2人であったことに、さっき気がつきました、、、(−_−;) 『130年⁈凄ーい(≧∇≦)』なんて、2人揃って欠片も思わなかったんですもの。

『コレだから、京都育ちは!!!💢💢』と言われる由縁でもあります。 でも、仕方ないじゃないですか。 環境の問題です。 別に私たち2人だけではなく、京都育ちは皆そうですから、、、(⌒-⌒; )