味覚の記憶

最近、何でもないお惣菜が食べたい症候群。 といっても、毎日のお惣菜って郷土色でるんですよね。 私の場合は、京都の味が食べたい訳ですが、、、 巷で、いわゆる《おばんざい》と呼ばれるものです。 これが中々難しい。 京都にいるうちは、どこででも食べられるものでも、京都を出た途端に食べられない物多数、、、(^_^;)

ナスの泥亀汁とか~ 湯葉と青菜の炊いたんとか~ 海老豆とか~ 京都を出た途端に、普通の和食店でも、口にするのは難しい。 何でなんだろう? 単独ではメニューにならないから??

最近、和食が世界遺産になりましたけども。 和食とおばんざいは、これまた、ちょっと違う気がする。 精進料理とも、また違うと思います。

和食店で食べるような和食は、少しお澄ましした《おもてなし》料理。 おばんざいは毎日のお惣菜。 京都の家庭で普段食べる、始末のよいおかずです。 家庭で出来る程度の工夫を凝らして、家庭ごとの味がある。

寺社の多い土地柄、精進料理から取り込まれたものも多数あると思いますが、肉も魚も食べるから精進料理とも少し違う。

私が見た本の中では、古い商家である杉本家のお惣菜が、私の覚えている、私の食べたい《普通の何でもないお惣菜》でした。

和食の本は沢山あるけど、郷土色のあるものは少ないのです。 本当はそんな訳はないのです。 和食と一言でいっても、郷土色が絶対あるはずです。 現に、私の場合、関西出身者の料理本じゃないと『美味しくない』と作らなくなりますから。 和食は京都の味がベースのはずなのに、です。

きっと和食の郷土色も、失われたら取り戻せない《無形文化遺産なんでしょうね。 毎日のお惣菜なんか、わざわざ本に残すことは少ないのでしょうけども、だからこそ味覚の記憶が失われたら取り戻せない。 幸い、私の場合は《京のおばんざい》って有名なレッテルがはられてますが、それでも《おばんざい専門書》ってのは杉本家のしかなかったのです。

まぁ、そんな訳で。 杉本家のお嬢さんである杉本節子さんの料理本を買ってみました。 古い京都の商家のしきたりも書いてあったりして、(根っからの京都人ではない)《なんちゃって京都人》な私には面白い読みものにもなっています。

かつて、幼馴染が言ってました。 《ちまの思考回路って、気に入ったものが『無いのなら 作ってしまえ ホトトギス』だよね》

、、、上手いこと言うなあと、思う今日この頃(笑) 暇を見つけて、実際に作って身に付けたいと思います。